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2010年09月14日

メモリー

今日の朝、なんとなくおばあさんの事をフッと思いだした。



なんとなく、ボーっとしばらく思い出していた。

もう亡くなってから12年ぐらいになるかな?

ぼくのところは“おばあちゃん”ではなく“おばあさん”て呼んでいた。


小さい頃からオヤジが居てなかったので、おふくろが仕事をして、おばあさんが家の用事をしてくれていた。

めちゃめちゃ“おばあさんこ”だった。


何かと表で怪我ばっかりしていたので、いつもおばあさんに手当てをしてもらっていた。

おばあさんは、柔術からの治療方法を身につけていたのと、鍼灸の名医だった。

西洋医学では解らない病気の重病患者を何人も救ってきた。

鍼灸が西洋医学より勝っているとか、そういう話ではなく 西洋医学では解らないものは医者はお手上げになってしまう。

もちろん、逆のケースで東洋医学では解らない事もある。

話はそれたけど、昔ながらのサラシのホータイと日本タオルでぐるぐる巻きにされるのが少し嫌やった。

でも、何かあれば いつもおばあさんやった。

なんでも、話した。


明治産まれのバシーっとした日本人だったので、説教は長かった。

そこに座りなさいと言われると正座で足がしびれて動けなっても説教は続いた。

時計ばかり気になって話は、聞いてなかった、それがばれてなおさら怒られた。


でも、いつも支えになってくれていた。

大学を中退してお袋に家を追い出され1年ぐらい家に帰れないときがあった(笑)

所在はわからないところで住んでいたのだが、

偶然、僕のバイトしていたガソリンスタンドの前でバッタリ会い

家に帰れるようにしてくれたのも おばあさんだった。




おばあさんが亡くなったのは突然だった。

動脈瘤だった。


家族の誰もが、おばあさんが死ぬなんて考えもしなかった。

1mmも考えてなかった。

絶対また元気に戻ると信じていた。

でも、日に日に悪くなっていき一週間足らずで面会謝絶に・・・

僕は、それでも医者の目を盗んでこっそり会いに行った。

おばあさんは、意識がほとんどなく うわごとで何かを心配していた様子だった。

僕は、何かはわからないけど大丈夫だよ。大丈夫だよと 早く元気になってくれと願った・・・


その夜、おばあさんは亡くなった。

僕は、病院に向かうタクシーの中で泣きまくった。

涙が止まらなかった。

僕が死ぬかと思うくらい泣いてしまった。


面会謝絶の病室にこっそり入った事を後悔した。

大丈夫だよと言わずに、やばいよ 早く起きて来てくれなあかんよ!といえばよかったと後悔した。


兄が、「おばあさんが最後の別れに、お前を呼んでくれたんやで」と言ってくれた・・・。



あれから12年か?

ついこの間のような気がするけど

今日、おふくろにおばあさんの命日っていつや?

と聞くと9月○日


ぐうぜんにももうすぐやな~。

忘れててわるかったな~、もう忘れんとこと思った。










happa


  
Posted by メッチャきけんマル at 20:49Comments(2)